カテゴリー: 介護の話

私のおじさんの介護の話3

認知症グループホームに入って1年経過したころ(2020年12月)、施設で今後介護が難しいとのこと。この一年で要介護3。

特別養護老人ホームに申込を入れてほしいと施設側から言われました。

いやそりゃ入れればそれが一番いいけれども・・

実はここのところはすばやく話が進みまして、入居可能となりまして、時期の打ち合わせに入っています。

今回の約2年ほどの間に勉強が出来ました。

転倒=骨折=即車いす生活につながっていること。

もしも車いす生活になった場合に暮らせる自宅なのか否か。

ここまではわかっていることなので、高齢者になる前に考える必要がある。

80歳以上の高齢者の勉強をしておくこと。

認知症の本を何冊か読んでおく。

認知症になる前にロードマップを考える必要がある。

結果から考える。

100歳までいきる。お墓を決めておく。施設に入るならどこにを決めておく。ダメならここダメならここ、候補とイメージを練る。

城を枕に粘る場所を決める。それならば60代のうちに籠城する場所に移っておく。

80歳から90歳の高齢者の勉強をすすめておく。面倒みるともっといい。

長生きリスクを考える。

ここで初めてほしいのは断捨離。

大掃除といいますか、いつも使うもの、使わないものを整理してほしい。

引っ越しの際に一人暮らしで椅子を7個持って行って、狭いって話は経験したことのある人ならわかってもらえるでしょうか。

団塊の世代は物が豊かさの象徴のようで、家には荷物があふれかえっています。

先日の週刊現代に自宅は売るなと言い切っています。半分はその通り、もう半分はそうではないと考えます。

荷物の処分がすすんでいたなら、選択肢を増やすことができます。

荷物が多いことを自分で自覚することから始まるのでしょう。荷物を減らせないと終の棲家も狭く感じてしまう。もうこんなに広い家は必要ないんだ。

身軽になることで、とても気軽に暮らせる。

あの時の料理道具。あの時の服。

すべてが今は使わないものになりつつあるはずです。

認知症になってからでは打つ手がないので、遺言も上手に書いておく。

推定相続人と話をしておく、いろいろ決めておく。

保険と貯金は必要最低限わかるようにしておく。

これらを手配していても、その時の自分が介護されやすい人間になれるかどうか

わからない。って事がわかりました。

介護する側は仲間を増やすこと。相談できる人、愚痴を聞いてくれる人。経験者の仲間を増やすこと。ですが、こうしたほうがいいばかりで状況を見ない、よく話を聞かない人とは距離を保ったほうがよいでしょう。

話を聞かないとイケナイ場面だらけになりますので、話を聴く力を練っておくことも大事でしょうか。

成年後見人の使い勝手の悪さや最終手段なのだというのもよくわかった。

制度が始まって時間がたって、世の中に蓄積がだいぶできてきているようです。

介護した人のブログも読み応えのあるものが増えて来ました。

私は不動産屋。

税理士、弁護士、司法書士、チームが簡単に作れます。メンバーひとりをこの人はどんな人なのかなどと調べる必要がない。今まで取引がある人、今後も取引がある人たち。信用の貯金がたくさんたまっている状態です。

自宅買うことよりもこのポジションは助かりました。

相続の本もネットの情報も今はたくさんあります。真実も多いのですが、本当に

役に立つ情報はその人によって違うわけです。

横山台の包括支援センターでたくさんの知識を得られました。耳学問も大変興味深く聞くことができました。個人的には包括支援センターがなければ心が折れた場面もありました。

5年ほど前から相続セミナーにも参加していますので、相続税対策を練ったり考えたり。

実践の現場ではこのスピード感に驚きました。

双方の遺言を用意してあったり、準備はすすめていたはずですが、本番では引っ越しの手配一つ大変なことです。

自分の親の前に勉強ができたこと、経験を積めたのは大変良かった。

遠くの親戚を近くに住んでもらったときのいろいろな事がぐるぐる回りました。

このフィードバックを皆様にできないか。そんな思いが強くなりました。

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私のおじさんの介護の話 2

年配の親戚が遠くに住んでいて、いよいよさしせまった状況になってきました。

今まで棚上げしてきたけれども、もはやここまで、確実に介護が必要です。

しかし私の自宅相模原から横浜市金沢区までの距離が問題になっておりました。

日々のお見舞いも距離が問題になってます。ひと月に何回行けるか、急な用事で駆けつけられない。2時間かけて行き、1時間滞在して2時間かけて帰る。そのこともストレスになって来ました。

遠くの親戚より近くの他人の言葉の意味がよくわかる。

気持ちだけでは超えられない。

大腿骨を骨折して自宅の階段が昇れない。病院に入って3ヶ月、もうすぐ出なくてはならない。リハビリの様子を見ながら少し歩ける状態では受け皿がない。

そんなリハビリの中、再度転倒しまして今度は逆の足の大腿骨を骨折しました。

緊急の手術です。若い先生が説明をしてくれました。両足になると車いすが前提になります。

転倒による骨折、入院中さらに転倒骨折+軽い認知症。

これがおじさんの状況でした。

この状態がどういうことなのかきちんとわかるまで、時間がかかりました。

この時はまだ「どこの老人ホームに入ろうかな~」ぐらいの気持ちでした。

じゃあ相模原に来ないかしら?近所なら私も色々協力できるし。

取り急ぎ近所の老人ホームのパンフレットを集めました。有料老人ホーム、介護付き、サービス付高齢者住宅、グループホーム…どこも1人20万円以上。オプションを付けて20万円ちょいです。もらっている年金全額納めてやっと住めるのか。

高いなあ。でも仕方ないのか。

当の本人からは、まだ老人ホームに入りたくないとのこと。入れるお金も怪しいけれど、入る気もないのだからどうにもならないじゃん。

最初は確かにこう言っていた。

本人もおばさんも様子を見に行っていた私も。

まったくの人ごと。3人が置かれている状況がだれも把握できていなかった。

私は不動産屋で30年以上働いているのに親戚が快適に過ごせる住まいが用意できないのか。

などとトンチンカンなことを考える始末です。

階段や簡単な段差のある住まいならば、5万円も出せばたくさんあるのに、本格的なバリアフリーの賃貸はほとんどない。

私はこのレベルで考えておりました。要支援ではなく要介護が2になっていたのに。

毎日様子見に行ければ一人で暮らせるのではないか?などと。

おじさんこの程度の認知症なら私の近所に住んでもらえれば何とかなるよ。昔もらったお年玉分ぐらいは頑張るよ。この程度の覚悟で望んでいました。

認知症の判定、ハセガワ式のテストの結果、病院の状況報告。これらから軒並みおじさんの受け入れ先は断られました。

受け入れたいのだけれど、車いすに対応できない。機械式の入浴設備がない。認知症だと難しい・・・

かんたんじゃなかった。3か月のタイムリミットが近づいてくる中で焦り始めました。

そもそも横浜市から相模原市に連れてくること自体が簡単ではなく。

受け入れ先もコネもない。コーディネートの力もない。

やみくもに資料集めて面談に行き書類渡して断られるを繰り返しました。

さまよいました。

さまようって山の中だけじゃない。

リハビリ施設の老健に入れるようになったときは心から安心した。ホッとしました。

三ヶ月だけど一息つける。わかっていた。老健は三か月で出なければならない。

最初から認知症病棟に入る話でした。いわゆる認知症も軽度だ重度だあるようですが

何をもって認知症の重い軽いは書類のみの選考です。

なんとか一般病棟にねじ込みたい。正直私はそう思いました。

書類に書いてあるのは、少々暴言がある。転倒が二回。認知症がある。認知症テストハセガワ式が何点だとか。生活態度などの活字の情報です。

入っていた病院と、受け入れの施設の間で、私がプレゼンテーション出来るような場面はなかった。

プロが作った成績表にしたがってプロが判断してくださるのだからそれでいくしかないのか。

個別の要因や面接面談をすることはできないかな。心の中で葛藤がありました。

おじさんは感情を揺さぶるような出来事や楽しみがあれば少しマッサージというかアイドリングがあれば冗談も言い出すし、笑顔も出て来るし、好奇心を引き出すことができるじゃないの。この状態をキープしていきたいじゃないか。

自宅で生活できなくなった人と一口に言っても、認知症なのか、身体機能が衰えたために食事やお風呂、トイレが難しくなったのか、もしくはその全てか。人によって状況は千差万別です。受け入れる側のマインドを持たないと自分が被害妄想に陥ってしまいそうでした。

たった1年ちょっと前は娘を連れて会いに行くことができた。

連れて行くと目を細めて喜んでくれた。小さな子供を施設に連れてゆくとパッと皆顔が明るくなった。

私がしたいのはこういうことだ。この時間を作りたかった。

これをやろうと思った。

老健から認知症グループホームへ移動。

3箇所のグループホームを見ていて、自分で立ち上がれないひとの介護の難しさに直面しました。

機械式のお風呂設備の有無など、受け入れ側と打合せが重要です。ここでも何度か断られました。

施設に複数声をかけておいて、受け入れ側の状況や人の充足などタイミングがとても重要だった。

認知症グループホームに入って、もうすぐ1年経過します。コロナの影響で面会の回数が激減してしまいました。相模原は病院がはやくから感染の報告があったので、介護施設はどこも厳戒態勢になりました。

2020年の前半にコロナが発症したとなったならば、状況的に非常に厳しい。

都会でも田舎でもないこの地域は良くも悪くも情報があっという間に広まってしまう。

そんななか子供はもちろん、私もおじさんと面会できなくなりました。

ダダ滑りで認知症が進みました。

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私のおじさんの介護の話 1

2年ほど前に親戚のおじさんが転倒により大腿骨骨折した。

86歳と82歳の高齢者夫婦は老々介護。

子供は居ませんでした。

月に一度様子を見ていたのですが、これからは毎週になるかしら

転倒から、病院に入院して、環境が急激に変わりました。

45年同じ場所に住んでいて80歳を超えての入院は大変です。

せん妄も出ました。瞬間的に認知症が進んでしまいました。

この病院はおかしい。陰謀があるようなことを言ってます。

今まで優しくて冗談ばかり言う人でしたが、切れ味が悪くなり、様子がいままでと違う。

今までは、おばさんがおじさんを介護していた。元気な方が介護される側に引っ張られてしまう。

かわいそうだからと言いながら無理をしてしまう

80歳の高齢者が高齢者の面倒を見ることの難しさを想像できていない時点が問題だった。

おばさんもすぐに具合が悪くなり、愚痴っぽい話が増えていきます。しかし人の日々の営みと言いますか、普段の生活の中に正解のような答えを求めるようなことはあまりなく、ごちゃごちゃとした面倒なことを繰り返すのが人と人の関わり合いなんですね。

嫁から別に答えが聞きたくて話しているわけじゃないんだから、ウンウンとうなずいて聞いてくれればいいのよと言われたことがあります。

で、あるならば相手は俺じゃなくてもいいのではないか?などと言う度胸はありませんが。

話を前に進めるために普段仕事をしてますので、この答えを出さなくてもいいから、今の状態を現状維持でうまく繋いでいきましょうのポジションは仕事とは勝手が違うので戸惑います。

くしくも子育て2歳児と0歳児と介護をちょっと離れたところから見るポジションを同時に手に入れたのは勉強になります。

病院の看護師は大変優しくて笑顔が素敵。もう70代後半の方を相当数対応されていて、シャイな人、愉快な人、そうじゃない人も可愛いなどと言いながら接客する様子はプロフェッショナル。

口当たりのいい人に囲まれて毎日暮らして、まわりは皆似たような患者さんたちですので、たった20日でなんとなく大部屋のの中で似た人たちになるような、病院とは病人になる場所なのかもしれないなとも思いました。

看護師達プロはコントロールしつつトラブルがないようにさばきます。

学生時代、個性が大事だ。自分らしさだと教えてもらったのに会社に入ればきっちりカタにはめられる。

それと似たように病院には病院の生活のカタにはめられる。

ロックンローラーはちょっと困る。

入院した当初は元気になったら何をするに満ちていますが、なんとなく時間の経過とともに違う方向に力が、考えが、思いが変わって行きました。

いつか見たテレビCMに一番戦っているのは病気の人だと。確かにそうかもしれません。看病だ様子を見るだなんていうのは、一瞬のことですし、食事も睡眠もお風呂も自由自在ですので、本当の意味では気持ちをわかってあげられないかもしれません。

私の介護の窓口がパカっと開いた瞬間でした。

カテゴリー: 子供達と

銀行の支店長に「オリンピックやるんですかね?」と聞きました。

今この時期にオリンピックの話をします。

色々な答えが出てきます。

ここまできたのだからやった方がいい。
いやいや、人の命がかかっている。
海外からそんなお客様呼べるのか?
中止だよ中止。無理無理。

みんな来たいのかしら?

来たくないのかしら?

じゃあ辞退者だらけの大会は世界一を競ったといえるのか?

色々な意見がある。

今日現在開催国の首都圏は緊急事態宣言発令中だ。

私の意見はやりたいけどやれないのではないか

延期できれば延期して欲しい。

そんな中、こんなときだからこそ、スポーツの素晴らしさで元気つけて欲しい。開催して欲しいと言う人と会いました。

なるほどなと。無責任だと言う意見もあるでしょうが、どちらの道に行っても叩かれると言いますか、意見がわかれます。

このような正解がない中で物事を決めてゆく人にはたくさんのプレッシャーがかかるものです。

せめてその挙動をよく見て、決まった暁には

できる限り協力したい

ブログに書いていろいろな意見があるのはわかりますが、半年後にこの続きを書きたいです。

カテゴリー: 子供達と

スカイビュー星が丘

お客様ご契約いただきました!

やっぱり以前ご来店いただいたお客様の契約です。

希望にきっちり答えた好提案!

今回も中川担当頑張りました。半年前から何度か提案させて

頂きました。最初は賃貸のご案内だったそうです。

しかし、そこが渋谷商会の真骨頂です

賃貸から売買にレーンチェンジも同じ担当が対応できます。

逆に手ごろな売買物件を探していながら、見つからないから賃貸になんて話もよくあります。ワンストップでお部屋探しお手伝いさせていただきます。

A様ご契約ありがとうございます。中川担当おめでとうパチパチパチ~

上溝駅が最寄になるかと思います。

「はるな」のミックスグリルを頂き、帰りにお持ち帰りのドレッシングを買って帰るのを忘れずに。がっつりならば隣の「大勝軒」いわゆる池袋大勝軒とは違いますが、独自の中華を出してくれます。確認取れてませんがおそらくスカイビュー星が丘まで出前もしてもらえるかと思います。迅速の出前に驚くことでしょう。そのまた隣は「アベチアキ」コッペパンで行列を作る名店です。

一押しは八王子らーめんのあおき。久しぶりのスマッシュヒットで私ひと月に何回かお世話になっています。

築年数は古いのですが、スケルトンリフォームによって新しく生まれ変わった内装です。3DKを2LDKに変更しながら、この部屋の良さが出ています。専用庭がまた広くて、楽しく使えそうです。1Fでこの間取り、なかなかない物件です。

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ダイホープラザ相模原

専属専任媒介で預かりました。

バブルの終わりの平成元年築。

時間は経過しておりますが、管理が良いので通路や外観が

きれいです。

マンションは管理を買えと言われていますが、まさにその通り。

ポストの周り、エントランス、通路お掃除がひとつの目安です。

お掃除なかなかです。

近くに保育園もありますが、夜になれば必ず静かになります。

自然豊かな横山台です。街路樹も多く、鳥がたくさん飛んでいます。

幼稚園、保育園も近くて、横山小学校もちかい。

相模原市中央区の横山公園はとてもシンボリックです

プールもテニスコートもサッカー場、野球場もあります。

散歩していてもなかなか雰囲気がよろしい。

パン屋のベルべで持ちかえり、公園で散歩しながらなんていいですね。

その際カスクートの出来立てを9時半ぐらいに狙って行き、コーヒーと一緒に頂けるとなおよろしいかと。

近所の肉をくらえ「ガガ」で赤みのお肉を食べながら赤ワインなんかすごくいいです。

ビールばっかり飲んできた私ですが、赤み肉目覚めたのはこのお店のおかげです。

丁寧な仕上げのお好み焼きの「なかまる」も近所です。ここで食べてから、お好み焼きはプロに焼いてもらうのがいいんじゃないかと思うようになりました。

相鉄ローゼン、ドラッグストアー、飲食店も多いので

自転車で暮らすこともできますし、車があればなお結構ですね。

駐車場代が6000円だったのもよかった。

10日で契約出来ました。やりました!中川担当よくやりました。パチパチパチ。

以前から条件、金額お部屋のサイズなど聞いていたので、ぴったりだったとは

なかなかやります。

横山台近辺だけで賃貸物件300部屋ほど預かっております。

入居者のなかにはこれこれこんな物件があれば声をかけてほしいと

賃貸入居者様から希望を言われていることがよくあります。

今回はある程度の広さがあればいいよ。寒がりだから陽当たり重視したいよ。

マンションタイプ、静かなところということで、最上階角部屋

気に入ってもらえました。どーん。

マンションを預かって、売却も両方ともお客様付けできる機会が多いのも

我が社の特徴です。

横山小学区をもっと掘り下げて、物件の良さとイメージをガンガン伝えるのが

我々の仕事。

お仕事いつでも待っています。

賃貸も、売買も、相続も、リフォームも。その悩み私たちが解決します。

カテゴリー: 物件のご紹介

横山台1丁目売地、建築条件なし売地について←建売住宅になります。←建売完成しました!会心の出来。

100㎡から127.65㎡まで全8区画で販売しております。

現在6区画終了です。

残り2区画です。

あと一つ建売住宅にしています。上棟終わりました。もうしばらくで建物見れます。

場所は横山台のセブンイレブンの前ですので、わかりやすいすっきりとした立地です。条件なしとは”建物を建築をすることを条件に土地契約を締結する土地ではありません”の意味です。お好きなハウスメーカー、ビルダーで建てることができます。

サンドラック 相鉄ローゼン てるて公園が300m以内にあり住環境も良好です。

今回は地主さんの相続で売却を検討されました。私が知る限り畑のままで40年以上そっとあそこにありました。

今回の販売では道路を入れて小さく切るか、大きいまま敷地延長も含めた切り方にするか迷いましたが、1区画を大きくつくる方向で区画を割りました。

赤土・黒土について

もともとが畑でしたので土の入れ替えをしまして、すなわち黒土を赤土に換えたのです。表面の土はどちらがいいのかといいますと、住宅には赤土がよいのです。黒土ですと雨で土がどろどろになりやすかったり、植物にはいいのですが建物には木部を痛めやすくなります。最近は深基礎で、ベタ基礎の建築になっておりますので関係ないという方もいらっしゃるかもしれませんが、しまらない土でどんなに転圧かけても黒土は硬くなりません。ならばいっそのこと入れ替えて、お庭の菜園をやるのであればその部分に黒土を入れてあげるのがいいと思います。

専用通路のある区画には間口3m取りどの区画も100を超えています。いわゆる建物を建てるための建築確認は道路接道間口2mが必要です。

2.5mの敷地が多いと思いますが、今回は3mとりました。

去年の夏から取り掛かった現場ですが、時間をかけて丹念に仕上げました。出鼻をコロナにくじかれましたが、いいものはいいとわかっていただけるような商品だと思います。

2020年6月14日現在 残り3区画になりました。思いのほか早くて驚いています。ありがとうございます。

2020年8月31日現在 2棟の新築を計画しております。

いよいよ発売開始!

こだわったのは自分で住むならどんな間取りがいいのか。建売住宅ですので、住むであろうテーマは家族です。3人から5人のイメージで作りました。

東南角地冬至のこの時期に陽当たり良好です。

駐車場2台確保+物置スペース、自転車置き場が取れます。外水栓もついてます。除草の手間もありません。

玄関に入ってシュークロークもありますし、私自身も子育て世代ですので、乳母車やストラダーがチャチャっとしまえる玄関を考えました。

新しい生活様式は住宅でも始まっています。玄関入ってすぐに手を洗います。

トイレも壁紙色合いにこだわりました。

堂々のリビングルームくどいですが冬至の撮影です。この日当たり。

タタミコーナーを家事コーナーと考えました。毎日座る場所ですので琉球畳にしました。

家事コーナーの机も勉強してもらってもよし、どちらからでも座れるつくりを考えました。向かい合って勉強してもいいですね。

カップボード、キッチンセットも充実のサイズです。キッチンも明るくできました。

リビングの収納にもこだわりました。

シンプルな洗面台ですが、使い勝手はかなり良いですよ。

落ち着いた淡いブルーのユニットバス

吹き抜けた階段は声や気配が途切れない。ご家族をつないでプライバシーを守るそんな設計です。

玄関あがりかまちをコーナータイプにすることでご家族みんなでお見送り。この玄関ならできます。

カテゴリー: 現場から

九沢橋駐車場

新規で駐車場を預かりました。

駐車場の区画がどうしても広く取れないため、軽自動車専用にせざる得ないか。

なんとか小型車まで駐車可能の駐車場が出来上がります。

看板を発注して、トラロープの打ち合わせして急いで商品化させます。

新しい大家さん接客のスピードを大変気にされていました。

期待に答えられますよう頑張ります

今まで横幅2、5mの長さ5mを確保してハイエースクラスが駐車できるように区画を作ってきましたが最近のお客様の傾向は軽自動車が多いです。

軽自動車専用というと門戸が狭くなるので、小型車、車のサイズを確認しながら進める予定です。

その地域にあった要望があります。私たちは駐車場管理1000台をこえており、その経験から最大のメリットを考えます。なんとかしてもう一台増やせないか。

引き続き頑張ります。

カテゴリー: 子供達と

事故は犯罪であるという考え方

通りすがりの駐車場の壁に 

事故は一瞬の見落としで起こる。事故は運転者の不注意であり事故は犯罪である。

とありました。

一瞬通り過ぎてから、元に戻って読み返しました。事故は犯罪であると言われてストンと落ちてゆかない何かがあった。

先日の池袋の暴走事故を見て大変胸を痛めました。誰もが悲しんだ。

私もハンドルを握る一人です。

そして妻がいて2歳の娘がいます。

さらに80歳を超える父親がいます。

ただかわいそうだなだけでなく、もしかしたら私の家族だったかもしれない。

もしかしたら私かもしれない。もしかしたら私の父かもしれない。

そんな立場になったかもしれないとグンと胸にのしかかりました。

あれから時間が経って今日見たこの言葉は、まずは私が覚悟しなければならない。

事故は犯罪である。

交通事故の出会い頭みたいなもので避けられなかったんだよ。のような比喩はもう使わない。

事故だからしょうがないって気持ちをやめよう。

少なくとも事故を「しょうがない」と自らに言うのはやめよう。

これから事故は犯罪だから絶対犯さない気持ちで運転する。
カテゴリー: 子供達と

新型車両5000系乗ってきました

京王線に乗ってびっくりした話なんですが。

最後に京王線に乗ったのが2020年2月13日でして10ヶ月ぶりに京王線に乗りました。驚きました。

座席が指定席のようです。この席に座っていたら

「俺の席に勝手に座らないでくれと」注意されるのではないか。

 私は間違えて小田急ロマンスカー的な何かに乗ってしまったのか?ドアを出たり入ったりした。勝手にすわっていていいわけない。だって席に番号がふってあるもの。怖いから隣の車両に乗ろうと、きっと隣の車両にはいつもの横並びの席があるのだろうと乗り移る。隣の車両でも、そのまた隣の車両も同じく肘掛付きのカップルシートだ。座ってそわそわしてまた立って隣の席へ。私の座るところを皆が見ているような気がする。視線が気になる。そのまた隣の車両に行っても、いけない、逃れられない。必死に仲間にメールを送る「この席座っていいのかしら・・」

携帯でヘルプメールを出して、5分もすると社長その席横並びの時は自由に座っていそうですよ。のメールが届きました。

会社に戻って調べてみると2月の22日から導入されたそうです。新幹線の席みたいに前方に向いている時は指定席になっているようです。かっこよすぎます。これから昔のような満員電車ではなくなって、一人一人のゆとりがある電車になってゆくってことでしょうか。その始まりを感じました。

肘掛が確実にもらえるこのシート。肘掛っていいですよね。腰のストレッチに体持ち上げたりできますし、このゆとりはありがたい。

予約を入れて多少金額がかかってもいい。きっとそんな声があったのでしょうか。新幹線の予約などが技術の元になったのかしら。

昔お父さんが若い頃は満員電車っていうのがあってなと子供に話すのかしら。

昔道路公団かなんかのテレビCMで「お父さんが若いころは渋滞ってあったんだよ」ってセリフを思い出しました。

京王線橋本駅から望むリニアの駅工事はまた度肝を抜かれました。これはやるなあ。この迫力が実業だな。国家事業の迫力に魅了されました。楽しみでありますが、いつになるのかな。