カテゴリー: 子供達と

双子

ブログタイトルにある通りいよいよ5児のパパになりました。

令和4年4月5日双子を授かりました。つい最近ですが、やっと家も落ち着いてきました。

1月の末に私の父親、会長が転倒しまして、大腿骨の骨折をしました。81歳の転倒ですので、入院、手術、リハビリのコンボです。最近退院してきました。

令和4年3月1日 新築住宅に引越しました。

食事のあいだを16時間開けるダイエットをやり続けているようなことを申し上げておりましたが、5月は大いにサボっておりました。みるみるブクブク太りました。「社長最近ブクブク太ってるよ」と指摘を頂き、夕飯抜きを2週間続けて、軽くウォーキングを交えることで78キロから、現在リバウンド前の73.5キロになりました。

調子がいいときに書いて、調子が悪いときには書かないというのは何とも頂けません。

言い訳をつらつら書きました。

さて双子。

寝返りも打ちませんし、声も小さいのでかわいいばっかりです。妻が育児のプロ中のプロですので大変助かっております。

出産前後も友人の妹が家事を手伝ってくれたり、妻の友人が弁当届けてくれたり、食事つくってれたり。中学生は自分のことを自分でやる傾向になってくれたので、チームがまとまったのはよかった。

帝王切開でしたので、おなかの傷が痛々しく、産まれる前の大きさと言ったらいつもの倍以上ですので大変からだに負担がかかっていました。

二卵性双生児ということで、一卵性のように「めちゃくちゃソックリで違いが分からない」を期待したのですが、意外と髪質や、雰囲気が違うので似てるね~ぐらいのイメージです。

双子の新生児はなかなか見られませんので、自慢したくなる気持ちが強くなりました。

新居と新生児を同時に授かった。これはそのありがたい。どちらもお金を積めば手に入るようなものではなく、ひとえに運がよかった。仲間に助けられて、なんとかたどり着いたという気持ちです。

一人だったらこの家は作らなかったな。ほぼ毎日そう思っています。

カテゴリー: 子供達と

娘が幼稚園に行きたくないという朝の話

じゃあ自分の口でお迎えのバスの先生に「今日は行きません」って言いに行こうねって作戦を教えてもらいました。

画期的です。素晴らしい。バスが来ているのに乗らないなんてうちの娘できるわけありません。流されて幼稚園に行きます。

しかし教えてくれたお母さんのところは「今日は幼稚園行きません」と園服に着替えながらお子様言ってました。すごい。鉄の意思だ。

幼稚園に行きたくない。これは北風と太陽の話だと思います。

以前無理矢理引っ張り込んでバスに乗せたことがあります。最後は手すりにしがみつきながら鯉のぼりのようにたなびく娘をねじ込みました。

ギャンギャン泣きです。これはとても胸が痛い。

さて、話は変わりますが、今年はコロナの影響でお正月はずーっと横山にいました。

午前はまだ寒い、午後は15時までで寒くなる。限られた時間を狙って

てるて公園のお砂場、富士山滑り台を狙います。

うちの娘は滑り台とか活動的ではないので、おとなしいお砂場遊びのお友達をいつも

探しているのです。「今日はお友達いるかな〜」と毎回楽しみにしているのですが今年の正月はまさかの3連チャンで空振り、お友達に会えませんでした。

これをチャンスと思い「幼稚園なら必ずお友達に会えるのに残念だったねえ」と何度も何度もすり込みました。早く幼稚園始まらないかねー お友達に会いたいねえってしつこく何度もすり込みました。

幼稚園ならお友達がいる

このキーワードの逆を刷り込む。すなわちお友達のいない公園に行って一人で遊ぶ。が彼女の中ではとても大事なトリガーとなっていた。

誰にでも当てはまるとはおもいません。うちのこは「何してるのー??」のマジックワードを使いこなしますので比較的物おじしないで同年代の子供に話しかけるタイプ。

行きたくなる理由を作ってあげる。公園にはお友達がいない時があるが、幼稚園なら

必ず友達に会える。この嬉しさを強調するのが僕の使命だと感じたのでした。

何かがパッと開いて楽しい気持ちになったのでした。

最近新しい食べ慣れていないものに手が出なくなっています。ちょっと前まで目の前に並べればなんでも黙々と食べたのですが、今はお蕎麦に乗ったネギの輪切り一枚どかせと言ってきます。なんでも食べる良い子にしたいのですがこの場合は何をすればいいのだろう。食べ物をわーいと言いながらモリモリ食べるところを見たい。さて、どうしますかね。

カテゴリー: リノア相模原

リノア相模原 駐車場の話

住んで2年が経ちました。

不満がほとんどないのですが、駐車場が遠い。これは最初からわかっていたことなのですが不満でした。

外に出るまで寒さがわからないので上着を持ってゆくか迷って間違えること。

先日駐車場抽選会がありまして、奇跡の引きを見せました。妻に今までで一番くじ運のいい結果だったんじゃないの?とツッこまれました。

自動ドア一番手前をゲット。今まで使っていた台車もほとんど使わなくなりました。

100m歩くと言うことは帰りも100mですので近いと言うのは快適です。最初からこの場所だったなら、快適さ感じられただろうか。

今回一番いいところを取ったと言うことは、次の抽選では高確率で遠くなると言うことです。うーむ

まさに「禍福は糾(あざな)える縄の如し」

その後駐輪場の清掃がありまして、いい汗かきました。高圧洗浄機のパワーに驚かされました。有志が多いのもこのマンションの特徴ですね。

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相模原 横山 LIXIL SW スーパーウォール

ケチは美徳。スーパーウォール大好きです。

エネルギーを電力に頼るとなれば必ず原発につながる。

原発の是非、ちょっと答え出せない。

原発か火力かって二元論が苦手です。

僕が思うエネルギーはソーラーパワーとポットの発想。

売り方がアレですが

アサヒソーラーとかのお湯の作り方は大好きです。

そもそも、電気使わないって発想がいい。

ユニクロのフリースを見たときにこれは俺の皮膚と言ってもいいなと。

毎日着ながら喜んだ。そんなイメージ。

石油製品の登山ウエアも大好きです。

ハイテクで効率よく軽くて気持ち良い。で、エコノミーとエコロジーと

繋がってゆく。そんなサイクルが回るといいな。

お湯を太陽光で温めて、地下室のように変化少なく温度を保つ。

実家に地下室があったので、すこしは知っているつもり。

しかし掘るのも造るのもコストが高い。

土地が坪100万円以下のところではこうじのコストが見合わないので

工事ができないと思います。

ならば土地を広くして大きい建物を作りたい。

これから未来の技術革新でソーラーパネルの値段も下がり

発電量も上がるでしょう。

今のところはエネルギー効率が悪い。ランニングコストが高い。

電気の買取金額に頼っている時点でちょっと僕の選択肢にならない。

消費電力の少ないエアコンと簡単にお湯の沸く仕組み。温めたエネルギーを

逃がさない構造の採用する。

小さな事ですが水道水を植木の水まきに使うのも毎度心が痛みます。

今回の自宅建築に際して雨水を溜めておくタンクも用意しました。

姉の嫁ぎ先は石川県なのですが、川の水を引いていてコンコンと湧いています。

水が湧く家なんて最高だなといつも羨ましく思っていました。

もちろん山梨の友人の温泉の出る家も羨ましい。

しかし太陽の光と雨水は必ず日本なら手に入る。

この辺りの利用が先なのだろう。

エンジン廃止して排気ガスを無くして

電気でカーボンニュートラルってしっくりこない

同じように紙ストローとかもなんでってなります。

スーパーのレジ袋も。

燃費の良い車で15年修理しながら乗る。

まあエコだけど景気は良くはならない。

自動車生産国でそれはどうなのとも思う。

それでも1日に3回パンが運ばれる焼きたてパンを諦めて

でっかい車に乗らない。粗食(極端か)と見栄を捨てることで始まる動きは

エコだけど景気良くならない。

無理をしないがいいところ。やって楽しいがいいところ。

満足の折り合いをつける。もはやお釈迦様の足るを知る的な、ある程度で満足することを学ぶような気持ちです。

冒頭ケチと書きましたが、ケチというより無駄使いをなくしたい。

そっちのエコノミックなエコロジー感が欲しい。

全館空調と高機密高断熱でその後に出てくる革新技術に

発電、蓄電は期待をするってスタンスになりました。

何だか知らないけれどこの家は居心地がい。

リクシル SW スーパーウォールで建てたオーナーの感想でした。

あれから2年が経ちました。

何とか建築まで漕ぎ着けた。終のすみかをイメージしました。

家作りには父親の考え方がベースにありました。父は実家で城を枕に最後まで籠城を決めています。

もはやこれまでと思えば落城して施設に行くのだそうです。

車椅子の入れる家、フラットな部屋、お風呂とトイレが近いこと。

平家として最後は利用する。

断熱性能が高いこと。

この辺りの発想は入れ込んでいきました。

私が重視したのはランニングコストとデザインのバランスです。

屋根にはガルバリウム鋼板を使いました。

壁は塗り物に木を貼る仕上げです。

コストだけではなく好みもだいぶ入れていますが。

家具も建具もなるべく面白いものにしたかったので nikon 館下 直さんに頼みました。

渋谷商会の応接間を見ていただきたいのですが

この部屋は22年前に西門の田中インテリアさんで作ってもらったのです。

その際に建具と家具は手作り家具で作ってもらいました。

家作りはマスプロダクト、工業製品から逃れられないのですが、そんな中で家具や建具は

時間を経て傷むのではなくて、よく言えば味になるようなそんな木の楽しさを

味わいたいと思った次第です。

車は13年 家は30年住めば成功ではないかと思っています。

バイクや車はキャブレターがインジェクションになりました。

フィーリングはいかがでしょうか。

楽しさはどこにあるかで正解が成功とは言い切れないと感じます。

最高の材料を思う存分使えるわけではなく、今あるもののなかで自分なりの最適解を出したつもりです。

それでも私が今乗っているオートバイはインジェクションですので

1年間に1000キロほどしか乗りませんが、いつもエンジンがかかります。

せっかくの休みにプラグカブったから今日はダメだとはならない。ありがたい。

古くと今を融合させる。触るところはこだわりたい。ハンドルは皮巻きにしたい。

そんな小さなこだわりを家作りに詰め込みました。

構造見学会を2021年11月20日21日行うそうですのでご興味のある方は

是非ご覧ください。私も現場ゆっくり見たことないので楽しみです。

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相模原中央区 求人の話

先日求人採用させてもらいました。

いつも思い出すのは学生時代に言われた、面接の帰り道に気をつけなさいの話。

面接が終わった後にくわえタバコで駅まで歩いている様子など

その企業の人に見られているので、油断なく帰りなさいって話でした。

油断しなかった。家までタバコ一本吸わなかった。

採用落ちまくった25年前の話です。

もう一つはNHKお母さんとっしょのお姉さんの面接の話。

何人も希望者が集められて課題に取り組む場面があった。

待合の場で、自分の練習よりもその場で一緒になった人の

練習の手伝いをしている女性がいた。

みんな自分のことで精いっぱいの中、他の面接者の手伝いをしていたそうです。

それを覆面面接官は見ていた。

「あなたは面接のバックルームでもおねえさんでした」

と言われて採用になった話。

社長と呼ばれて、なんとか性格を見抜いてみせる、

などとおこがましいこと考えていた時期がありました。

そう簡単に人の内面や働いたらどんな人かなんてわかるわけがない。

でも、なんとか見てみたい、自然体を知りたいなと。

なるべくたくさん話してもらって、もっと話したかったの気持ちや、

不完全燃焼にさせないようにしたい。ですので面接が1時間を超えることもよくあります。

 お茶を出すタイミングがあったのですが、運んでくれたスタッフから

「あの人はとても感じがいいですね。たくさんお茶を運びましたが、あんなふうに丁寧にお茶を受けてくれた人は今までいませんでした」

と報告を受けました。お茶運んだ人を感動させる人来てくれた。

やっぱり嬉しい。

「こんな人に来てもらいたい」それはお茶を運んでくれた人もそう思っています。

弊社で面接する際お茶を運んでいるのは私の右腕です。

この人の直感をかなり重視しています。

私よりもずっと長い時間一緒の仲間になるのでこの人の意見がとても重要なのです。

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私のsdgs

25年前大学時代に環境法を専攻していました。

高山先生の講義は正直地味で授業中はほとんどの生徒が聞いていないか寝ていました。

砂つぶの話から植物の話になり、環境は小さなものから全て繋がっている。

聞いた時に

「この果てしない講義は終われるのかな?」

地味な話ぶりとバブルの終わりの時代に砂つぶの話ですから全然人気なかったです。

私は高山先生の全く生徒の人気を気にしない人柄が気になりました。

2回目からは最前列センターをとって受講しました。

君たちはペットボトルという材料と戦うことになると仰りました。

当時は醤油のボトルとか一部の調味料の容器に使われていました。

大きなジュース1.5リットルのペットボトルは出てきていたと思います。

500mlで売り出すと爆発的にペットボトルが広まった気がします。リターナブル瓶のビールや炭酸飲料が

当たり前の時代があっというまにペットボトルになった。

500mlの清涼飲料にペットボトルを使わないのは自主規制だったと話を後から聞きました。

これからはコストとの戦いになる

エコとはエコロジーなのかエコノミーであるのか

その両方を狙わないといけない。

先生の話の内容は私の胸に突き刺さりました。

当時はISOが新しい言葉だった。

二酸化炭素の削減と言われても全くピンとこなかった。お金で排出する権利を買うとか

話はわかるけれど意味がわからなかった。温暖化と言われてもまだわからなかった。

オゾンホールができて困るのは色の白い肌の人達だけなんじゃないかなんて思っていた。

バイクで浦安の学校まで行ってティッシュで鼻の穴をほじると真っ黒になった頃。

ハイブリッドカーが発売される前。車の燃費を気にすると、ケチでカッコ悪いことのように感じた頃。

さて、私のsdgsの理解

色々なことにゴールを設定してまずは始めましょう。ぐるぐる回してゆくとそれは段々と繋がっていって

興味を持つことで広がり、勢いがつき、楽しくそして真剣になる。結果を伴えばまた

新たな局面に進む。そういうことなのかなと。

いろいろ思うところはありますが、楽しくないと続かない。

いま現在マンションに住んでいますが、これはとてもエコだと思う。効率はとてもいい。

逃げない熱と、みんなで住むことの便利。160世帯でゴミ置き場もだいぶコンパクトです。

エアコンも機密性が高いのであっという間に冷える、温まる。

いっぺんに世帯数を作るので1戸当たりの値段も下げられる。理想の平家をたくさん作る良い方法。

マンションとはそんなふうに感じます。

そうこう言いながらも家族構成がだいぶ変わりまして、現在一軒家を建てています。

以前友人の住宅建築でリクシルのスーパーウォールをすすめました。

完成したものを見て、こんな家を自分も建てたいと

思うようになりました。

自然素材で作るものにも惹かれました。機密性を高くして効率よく冷やし、もしくは温める。

ハイテクを避けてコストを下げて、私が選んだのはスーパーウォールでした。

エアコンの技術革新はこれからも進む。10年に一回壊れるとして。

そうすると家建てるとき断熱にこだわりたいなと思った次第。

私はこれが絶対おすすめですみたいな話はしません。

それでもハウスメーカーに勤めて

仲介屋と現職で中古新築を含めて300件ほど商いをしてきました。

賃貸と購入を含めて引っ越しは33回しました。

自分のできることと楽しかった思い出の集大成としての取り組みです。

実験室のイメージもあります。

大袈裟になりましたがご興味のある人は連絡ください。

令和4年2月完成予定です。もうちょっとでカミングスーンです。

それと並行して私の肩書き「自転車購入家」なのですが順調に自転車乗りを増やしております。

仕事を受けてもらっている取引先と競合他社の皆さま、友人、後輩など少しづつ自転車仲間が増えています。

知り合いが自転車乗りから「オートバイ乗り兼ランナー」に転進する、ジョブチェンジすると聞きまして、

ロードレーサーとマウンテンバイクを一台づつ譲ってくれました。 165センチ前後の人にちょうど良さそう。

ロードとマウンテン、どっちも最初のナビゲートが肝要と考えています。できれば最初からまあまあの自転車に乗って欲しいです。でもやっぱり自転車高いですよね。わかります。

無理やりドロップハンドルで始めると、あのポジションとかサドルの高さにびびるというか盛り上がりきれないのではないか。それもわかる。わかるわかる。

クロスバイクも息子のと私の営業車の2台が用意できるので、最初はこれで尾根幹線でも行きましょう。

慣れたらドロップハンドルにしましょう。

ハマるかどうかわからない人をハメる。そんな人でありたい。

ペダルも最初はフラットペダルでいきましょう。

尾根幹のセブンイレブンは2軒もマイナス4度のコーラ売ってるんですよ。

多分世界一美味しいコーラになりますよ。

うまいコーラが最高のコーラになるためには、こっちが変わらないといけないって考えと動きが大好きです。

自転車が楽しくなると。

健康な人増える、食べ物が美味しくなる、体型が変わる、ストレスが減る、ちょいちょい

相模原近辺のいいところを軽く「ハイ」の状態で見て回ることになる。まあまあが美しい景色に見えてくる。

地元への愛が育まれる、環境に良い。病人が減る。メーカーが元気なる。パーツの供給が続く。私の子供らも

自転車楽しめる。ご飯思いっきり食べても今日はいいんだよと許される。健康診断を迎えに行く気持ちになれる(かも)

この趣味を始めて10年以上が経過しました。100万円の高級バイクは買えなかったけど

10万円前後のものはずいぶん集まってきました。

タイヤに空気を入れてチェーンに油をさすとしばらく動いていなかったマシーンがまた動き出します。

12年前に買ったロードレーサーはチェーン交換したくらいでいまだにケナゲに走る。

お前そんなこと言うんならしょうがねえなぁ明日な、わかった出しとくよとか言いながらまた

走り出す。そんな人を増やすのだ。

自転車に乗ること、乗せることが私のSDGsです。そしてこれはアートだと思う。

山登りをアートだと先日新聞に書いてあって、なるほどその通りだ。

カテゴリー: 子供達と

多数のエントリーありがとうございます。

この数ヶ月たくさんの求人エントリーをいただきました。

誠にありがとうございます。

経営者となって一番緊張するし、楽しみであるのですが、選考は悩みます。

来るものを拒まず去るものを追わずなどと言えればいいのですが、少ない人数で

やらなきゃなりませんので現実的に色々考えて選ばせていただいてます。

弊社に合いそうだと思う人を勝手に思い込んで採用しているということ。

一方的にこっちの思い込みで進めておりますので、採用にならなかった方どうかなんとか次頑張っていただきたいです。

私も転職を数回しておりまして、面接の時の緊張や会話であんなに話しして

いい雰囲気だったのに

などと思い出すことがありますが、そこはマッチングなんです。

欲しかったのは俺みたいなタイプじゃなかったのか?などと思いました。でも気にしないで欲しいのです。

しばらく落ちた会社の名前が聞こえると、ちょっと甘酸っぱくなりました。

役員面接まで行ったのに! 「名刺作っとくからね」とまで言ってたのに・・

 その後の転職でも、事務所の雰囲気が良さそうだ。お客さんがたくさん入っている。売る側のアドヴァイスのみを信じてこの会社は良さそうだと思って入った会社たち。

そこで花が咲いたかどうかは私の判断だけでは申し上げられませんが

「不動産屋のセガレで入社した以上はお荷物になるわけにはいかない」の思いで

働きました。

学生時代、就職活動中に3社ほど面接結果を待っていた。

一社から採用通知をいただき、他二つの結果を待っていました。

父親から、「お前なんで最採用通知の会社に行きますって返事しないんだ?」

と聞かれました。相当怒気を含んでおりました。

今就職活動中で全部結果が出てから考えようと思っているよ。などと答えたところ

激怒していました。

「なぜ行く気もないところを受けたのだ。採用通知をだしたものの気持ちを考えたのか?」

父親とは弊社の先代のことです。25年前というと弊社も創業15年目社員4名で営業していた頃です。

今も昔も中小企業は人が命。採用について非常にナーバスになるのは当たり前です。

私の言い分を言ったところで仕方がないし、わかってもらえる気もしなかった。

そして、期日はまだあるけれど、最初に採用と言ってくれた会社に行くのもいいかもしれない。そんな考えになりました。

その採用通知の早かった会社に入社しました。

今とは情報量も景気も全然違う就職の話です。いわゆる時代が違う話です。

ただ25年経ってもあの日を忘れない。私にとって大切な日だった。

各人各様の就職活動があり、出会いと別れがございます。

だから、ここに面接は一生懸命受け止めさせてもらう気持ちを改めて誓います。

面接にのぞんでいただいた皆さまに心よりお礼申し上げます。

ありがとうございます。

カテゴリー: 現場から

新入社員のあなたへ

今までの経験上すごいなと思う人は

仕事量のキャパシティーをおおきくかまえて、どうにかしようという

当事者意識が高いひとです。

入る前の覚悟でしょうか。大概のことはやってみせると

意気込みのある人。

およそ人がやることなのだから、自分だってどうにかなるだろうと少々乱暴な思い込みと、

どうすればできるのか考える人。

やらない理由とできない言い訳を最後まで粘って言わない人

諦めの悪さと意志をもって続けるプライドの高さ。

集約するとこんな感じでしょうか。

エジソン曰くの「失敗ではなく、成功の途中なのだ」を思い出します。

私の過去は平成ブラック時代の昔話だと思われそうですが

今でも思い出す人がいます。

本人の許可取ってませんが名前あげます「淺田くんです」

淺田くんって誰だよって声が聞こえてきそうですが、すごい人。

20年以上前に勤めていた会社の新入社員同士でした。

金がない同士でした。別に気が合うわけでもなかったのですが

っていうか彼から見たら私なんか眼中になかったかな。

休みの日に朝一番から出てきて反響電話を取るのだとモチベーションの高さを

見せつけられました。その程度は当時結構いたのですが

彼はボロい原付バイクを買ってきて、カゴの中に紙袋。中には

物件の図面を1000枚ほど用意して全て見に行ってコメントを

書いていました。

一週間で500件見てきたと言われて、これには驚きました。

入社1ヶ月で彼はレギュラーメンバーとして扱われていました。

「これはブラックに働きましょうね!」って話ではなくて

自分のブランディングは自分で決めたほうが幸せだって話です。

人の評価は人が決めると思ってない。ここがすごい。

そのブランディングは言われてやったのか?自分で考えたのか?

彼のスタートダッシュは「最初が肝心」って思いでパンパンです。

なんでも決めたら「やる」ことの方が大変です

決まったことをやり続けるのは相当な意思が必要です。

これはこれで尊いことです。本当はこういう力が大切です。

ですが、彼は最初のインパクトもいっぺんに取りにいった。

最初のインパクトを取りに行く人これが高確率で高評価につながります。

だっていつかは500件ぐらい見に行くんですよ。同じやるなら

早い方がいいでしょうって話です。

日々の業務が増える中で、いつまでも原付乗って毎週500件見て回るなんてできるわけない。

物理的に。続くわけない。でも今なら、一週間ならできる。最初の一ヶ月ならできる。

でもってその効果が「あいつはやるな」ですからそりゃあ他の新人からはブーイングですよ。そんなんで高評価かよ。

それでも、内心「すげえな」と思われなければ、ブーイングのタネにもならない。

で、評価の良い環境で働いたら、気分が良いでしょう。気分よく働いたら結果も良くなるでしょう

やらされているのか、やっているのか。

同じことをやっても気持ちが違う。

仕事をやらされにきたのか。いわゆる労働の対価をもらいにきたのか。

エジプトのピラミッドの石をロープで引っ張りにきたのか。

もしくは楽しいといって働く環境をコントロールしに来たのか。

彼の新人時代のスタートダッシュは今でも色褪せずに私の胸にあります。

最初が肝心って話。

カテゴリー: 健康 ダイエット自転車 ロードレーサー MTB

自転車に興味があるんですよ

取引先の業者が言ってました。いわゆる後輩です。

私は自転車が趣味というよりも「自転車購入家」と言って

ただ自転車を買うのが好きな人なのです。

買う人と一緒になってワーワー言ってたい人です。

もちろん乗るのもすこし好きなので

毎週宮ヶ瀬ダムに登っております。

その際、幼馴染とよく行くのですが、負けるのが嫌い。

ついていけないのも、待っててもらうのも嫌です。

さて、話はそれました。

初めのスポーツ自転車にクロスバイクを2台用意しました。

倅のジャイアントエスケープと営業で使っているジャイアントエスケープ

以前にもちょうどいいと絶賛してたアレです。

オリンピック前でしたのでロードレースの大会前に一瞬でも走っておけば

良い思い出になるかと考え南多摩尾根幹線 いわゆるオネカンに行きました。

宮下の坂を下るあたりで今日は怖いのでもうやめましょうと言わしめました。

ママチャリしか乗ったことのない人はクロスバイクでそのスピードに

驚くことでしょう。

タイヤもいいタイヤにしてあります。空有気圧もカンカンに入っています。簡単に25キロ

くらいでます。

最初にヘルメットかぶるか?とラッキョのような帽子を見せたところ

「いや俺、そういうのはいいです。ちょっと大袈裟だし」

まあ、さもありなん。俺もそうやった。

宮下の坂を下るあたりで、やっぱかぶっとけばよかったと言われると

少し嬉しくなりました。

20分ほどで汗もかいてきました。このくらい走ると少し興奮気味になって

声もでかいです。

「オネカンでー 東急の教習所の前まで行こっかー」

などと言いながら坂をぐりぐり登ります。

彼は8キロくらいランニングしているそうなので

ベースがあるからなんとかついてくるかなと厳し目に走りました。

下りは30キロ超えますし、坂はつらさが増幅されるし。全くもって

サディスティックな機械です。

色々なところに力が入るとガチガチになって真っ直ぐ走れなくなるのもアルアルです。

このできることは一生懸命コグだけ。暑くて、涼しくて、フーフー言いながら自転車漕ぐ

なんていうのはいい歳して見ちゃいられないけれど、本人達はいい気分です。

子供の頃横浜の自宅から相模湖でバスフィッシングを目指した話を

100回くらい私にする営業マンがいました。

歩いて新橋から江ノ島に行く「坂上の雲」秋山真之の少年時代の話。

行きは追い風で、帰りは向かい風で大変な思いをするなんていうのは

いい思い出だ。

しかしそれは少年じゃなければだめですか?

今日のあなたでもいいはずだ。

もちろん今日の俺でもいいはずだ。

帰りに事務所まで戻って嬉しそうに「自転車買いますよ!」と

言わしめる。

俺の大事な仕事はここからです。

クロスバイクで終わらせない。しばらくして飽きてやめちゃうんじゃないかと

きちんと泥沼に追いやってこそ、自転車購入家。

ここからが本領発揮です。次はロードレーサーを2台用意して

なぜこっちを進めるのかをわかってもらおう。

カテゴリー: 子供達と

わたしのおじさんの介護の話 5

おじさんが亡くなりました。

胃瘻(いろう)しますか?

強い栄養の注射をしますか?

このあとの延命措置は少し考えておいてください

などと言われていたのですが

あっという間でした。

後半は息が細くなって

寝てばかりでした。

前日に気になっていたので

湘和会堂に見学に行きました

まさかその次の日だとは思いませんでした。

直後に大事だったこと

死亡診断書は看護師や医師が書いてくれるもの

そのあとの引き取りは斎場の人の力を借りないと

難しいと感じた。

亡くなった、さあ迎えに行こうではなくて

施設の場合、時間の調整は効く前提でうごいてしまおう

医師が来ないと死亡診断書が書けないのではない

施設にいる看護師が書ける

聴診器つけて医者が首を左右に振って「ご臨終です」

をやるのかと思ったのですが

平成29年から看護師も書けるようになったそうです

印鑑が三文判でもいいので用意しておくこと

事前に打ち合わせをしておいてよかった。

斎場に運ぶときは若手に任せて、

高齢者はついていかなくてよいこと

そこで段取りはほぼ決めることになる

お墓と宗派と連絡先とこっちの意向を

よく考えておくこと(これができてなかった)

50代くらいのおじさんが中心になって

段取りするべきだろうなと感じました。

事前に斎場との打ち合わせは行ったほうがいい。

ブログに書いたりして不謹慎かなと思ったのですが

お世話になったおじさんんから学ばせてもらおうと

いう姿勢で臨みました。誰かの役に立ったらいいなと

思いました。

私のような人間が他にもこれから急速に増えるのと

私がたくさんの人から支えられておじさんの介護に

向き合えたのはとても幸せなことでした。

何度もなんども心が折れそうになり

家族や会社や友人のおかげでここまでやってこれました。

一人じゃ無理だ。薄くてもいい、細くてもいいから

人数を増やそう。仲間を増やそう。話し相手を増やそう

言葉一つでまたやっていける。

一人でしょいこまないことが言葉は変ですが

うまくいったと思うのです。

私はおじさんが高齢になり、なんとなく認知症が始まった時から

できることはやる、できないことはやらないの

線引きを考えていました。

横浜から相模原に呼んだのも、私の都合でした。

介護施設も私がすべて選びました。

会社の経営と家族を優先しました。

残った力、余った時間でおじさんとむきあいました。

最初からそのつもりでした。

これで良かったのだろうかと思うことも

多々あり、コロナを言い訳に使ったことも

ありました。

サバサバとしたキャラクターで

おじさんを送るつもりでしたが

畳のうえでおじさんが寝ている様子を見て

堰を切ったように涙が出ました。

38年前母親が逝った際、私の枕元に

知らせに来てくれたおじさん。

親父は病院でその後の打ち合わせをしていた。

おじさんは私に知らせるために深夜に来てくれた

働き盛りで貿易会社の役員をされていた。

今よりももっと労働環境は厳しい時代に

たくさんの時間をうちの家族のために使ってくれた

施設に入る際に

「何か困ったことがあったらいつでも相談においで」

と話してくれた。

ながいあいだ私の相談役をしてくれありがとう。

何も知らない私に介護のチャンスをくれてありがとう。

これから私は30年くらい生きられたらいいな

生きたいなと考えていますが

今回のことで介護の一部はわかった気がします。

誰かの介護の役に立つように仕事や家族に知人に

なんかしらの協力のできる人間になりたいです。

包括支援センター、病院、施設、ケアマネージャー

斎場、もう数え上げたら何人のお世話になったかわからない

いい勉強をさせてもらいました。

ありがとうございます。