カテゴリー: 子供達と

わたしのおじさんの介護の話 5

おじさんが亡くなりました。

胃瘻(いろう)しますか?

強い栄養の注射をしますか?

このあとの延命措置は少し考えておいてください

などと言われていたのですが

あっという間でした。

後半は息が細くなって

寝てばかりでした。

前日に気になっていたので

湘和会堂に見学に行きました

まさかその次の日だとは思いませんでした。

直後に大事だったこと

死亡診断書は看護師や医師が書いてくれるもの

そのあとの引き取りは斎場の人の力を借りないと

難しいと感じた。

亡くなった、さあ迎えに行こうではなくて

施設の場合、時間の調整は効く前提でうごいてしまおう

医師が来ないと死亡診断書が書けないのではない

施設にいる看護師が書ける

聴診器つけて医者が首を左右に振って「ご臨終です」

をやるのかと思ったのですが

平成29年から看護師も書けるようになったそうです

印鑑が三文判でもいいので用意しておくこと

事前に打ち合わせをしておいてよかった。

斎場に運ぶときは若手に任せて、

高齢者はついていかなくてよいこと

そこで段取りはほぼ決めることになる

お墓と宗派と連絡先とこっちの意向を

よく考えておくこと(これができてなかった)

50代くらいのおじさんが中心になって

段取りするべきだろうなと感じました。

事前に斎場との打ち合わせは行ったほうがいい。

ブログに書いたりして不謹慎かなと思ったのですが

お世話になったおじさんんから学ばせてもらおうと

いう姿勢で臨みました。誰かの役に立ったらいいなと

思いました。

私のような人間が他にもこれから急速に増えるのと

私がたくさんの人から支えられておじさんの介護に

向き合えたのはとても幸せなことでした。

何度もなんども心が折れそうになり

家族や会社や友人のおかげでここまでやってこれました。

一人じゃ無理だ。薄くてもいい、細くてもいいから

人数を増やそう。仲間を増やそう。話し相手を増やそう

言葉一つでまたやっていける。

一人でしょいこまないことが言葉は変ですが

うまくいったと思うのです。

私はおじさんが高齢になり、なんとなく認知症が始まった時から

できることはやる、できないことはやらないの

線引きを考えていました。

横浜から相模原に呼んだのも、私の都合でした。

介護施設も私がすべて選びました。

会社の経営と家族を優先しました。

残った力、余った時間でおじさんとむきあいました。

最初からそのつもりでした。

これで良かったのだろうかと思うことも

多々あり、コロナを言い訳に使ったことも

ありました。

サバサバとしたキャラクターで

おじさんを送るつもりでしたが

畳のうえでおじさんが寝ている様子を見て

堰を切ったように涙が出ました。

38年前母親が逝った際、私の枕元に

知らせに来てくれたおじさん。

親父は病院でその後の打ち合わせをしていた。

おじさんは私に知らせるために深夜に来てくれた

働き盛りで貿易会社の役員をされていた。

今よりももっと労働環境は厳しい時代に

たくさんの時間をうちの家族のために使ってくれた

施設に入る際に

「何か困ったことがあったらいつでも相談においで」

と話してくれた。

ながいあいだ私の相談役をしてくれありがとう。

何も知らない私に介護のチャンスをくれてありがとう。

これから私は30年くらい生きられたらいいな

生きたいなと考えていますが

今回のことで介護の一部はわかった気がします。

誰かの介護の役に立つように仕事や家族に知人に

なんかしらの協力のできる人間になりたいです。

包括支援センター、病院、施設、ケアマネージャー

斎場、もう数え上げたら何人のお世話になったかわからない

いい勉強をさせてもらいました。

ありがとうございます。

カテゴリー: 健康 ダイエット

48歳のダイエットなんて 誰が読むんだって話 1

急におじさんが痩せると、病気を心配されると思うのですが

2021年3月6日からダイエット始めました。

いわゆる食事の時間を16時間開けるというものです。

最初の2日間トイレで大変なことになり

おなかのアンコがなくなりました。

プチ断食!!!

あっという間に2キロ減りました。

空腹時のぼんやりが心配でしたが

それも5日目には慣れました

その後10日間ほどで5キロ減

極端な結果はリバウンドをうむだろうな

その思いを今の所裏切り続けている。

ちょいちょいと断食の良さを教えてもらいながら

自分の体を支配下に、きちんとコントロール下に

置いている。

これは48歳で初めての感覚です。

ストレスで食べるとはよく言いますが

私は食べることがストレスだった。

食べることの罪悪感から解放されて

食事のありがたさ、食事への感謝が生まれました。

ナニこれ。お坊さんにお説教をもらったときの気持ち

朝型と16時間のプチ断食が私には良かった。

3000円で買ったスマート体重計

3800円で買った中華スマートウォッチ(万歩計しか見ていない)

2258円のコストコのミックスナッツ無塩

朝型と16時間の断食で

なんだかいろいろと許された感じ。

運動してないから痩せない。

食べるから痩せない。

この二つから解放された。

意志が弱いから 食べてしまう 続かない

根性がないから 食べてしまう 続かない

加齢だから   若い頃のようにはいかない

カロリー計算が守れない。

ポテトチップの呪縛からも解放された。

恥ずかしながら3月6日まで毎日一袋ポテチなど

スナック菓子を食べていました。

辛くて辛くて我慢して我慢して・・

その感覚が今はない。

食べ物の美味しさが、毎回激しいスポーツの後のような状態。

美味しい準備が万端で、味覚が鋭くなっている。

味の濃さが鼻につくようになった。

薄味を好むようになった。

ポテトチップを食べたいのではなく

別に食べなくてもよくなった。代わりに素焼きのナッツは

たくさん食べています。

夕飯を食べないで寝るなどできるわけないと

思い込んでいた。

夕飯が16時ですので家族と一緒に取れなくなったのが

一つだけネガティブですが、それ以外はいいことばっかり。

朝5時に起きて8時の朝ごはんが楽しみで

お腹を触るといつもよりもお腹の温度が熱いのです。

若い頃の代謝が高い頃のような

お腹の脂肪がグツグツ溶けているような

元来影響を受けやすい気質なので今回この気持ちになれたのは

いいねと。

「プチ断食いいじゃないの」って 

この気持ちを育てたい。

新しい餌を与えて、大きく育てたい。

少し歩いてみようかしら、自転車に乗ってみようかしら

少し食べ物こだわって納豆、キムチ、ヨーグルトとってみようかしら?

ある賢人に「成功の秘訣は小さな成功の積み重ねること」と言われていました。

減らすではなく断つ。まさかこれで始まるとは。

面白がっているので、悲壮感が出ないのが何より喜んでいます。

お金がかからないのも面白い。

食事がガーッと食べるのではなく、美味しい美味しいと言いながら

丁寧に食べるようになったかな。

痩せた私を見てやってください。

リバウンドをした私を励ましてください。

どっちになるかわかりませんが今の所順調です。

おじさんのブログを読んでいる

あなたにきっとおすすめです。一緒に楽しみましょう。

カテゴリー: 介護の話

わたしのおじさんの介護の話 4

俺の家の話 最終回みました。にぎやかで終わらせないのだな。

心を少し離して見れたので毎週楽しみにしていました。

「明るくやっても、暗くやっても介護は介護ですから」の言葉が

こころに残った。今の私から見ても楽しかった。

さて、おじさん。

年明けから2か月で一気に進みまして、要介護4

この上の要介護5があることに驚いた。

食事は噛んで食べるようなものは取れない

すりつぶしたものしか飲めない。それですら

飲みたがらない。手と頭をいろいろなものにぶつける

イロウしますか?強い点滴使いますか?

どのような治療を今後続けますか?

なんだかこのあたりはどっかで見たことあるような

自然なものを望みたいって思うけど

本人はどうなんだろう。

残されたおばさんも季節の変わり目や温度の変化で

気持ちがあがったりさがったりしているようで

どうする?ときくたびに、本当に困っているよう。

私がぶれると彼女も迷うと思うので

精一杯いい判断をしよう。

カテゴリー: 本を読みました

起業の天才 江副浩正の本

リクルート疑獄当時、私は高校生。

なんとなく賄賂配った悪い人の中に江副さん入っていました。

松下幸之助の言葉

「人は誰でも得手なこと不得手なことがありまんがな。

誰にどの仕事を、どこまで要望するのかが大事やなあ」

江副浩正の解釈

「お互い得手不得手があることを積極的に認め、

各人が得意なことを組織に提供して大きな成果をあげてゆく」

聖人 徳も才もあるもの

君子 徳が才に勝るもの

小人 才が徳に勝るもの

愚人 徳も才もないもの

組織をダメにするのは小人だ

会社に言われたことを一生懸命やるのが仕事だと

思っていた新入社員に

「自分の仕事は自分で作れ」 「圧倒的な当事者意識」

を植え付ける

「自ら機会を創りだし、機会をもって自らを変えよ」

しびれたのはこのあたり

インサイダー取引は今では大きな問題になる。

しかし情報をどう使うかは仕事を通して

生活していて、生きるそのもの。

私のような不動産屋であれば、情報も集まってくる

それをどのように使わなければならないのか

今一度考えるきっかけになりました。

かぎりなく商売に結びつけてゆけば富を生む

しかしそこに徳はあるのか。

おまえら、もっといかがわしくなれ!と帯にありますが

この本を表す言葉。まったくぴったりです。

このセリフを誰が言ったのかがまたおもしろい。

40代後半から上の世代はきっと楽しめるかと

思います。

あの時代リクルート疑獄とはなんだったのか

わかりやすく丁寧に書かれています。

改めて、文章は才能よりやさしさが必要なのだなと

感じました。

江副さんは文学少年だった。

安比高原を愛した。

志を高く立てて、前へ進めたい。

そんな気概がもらえました。

このブログを読んでいるのはどんなひとなんだろう

うちの社員にも読んでもらいたい。

48歳のおっさんのブログですので、内容はいつもあれですが

こんなブログを読んじゃうようなアナタにおすすめな本ですよ。

カテゴリー: 子供達と

アスリエ相模原 8月31日閉鎖

アスリエ相模原がなくなるそうです。

閉店の手紙が来ました。

奥さんがアスリエメンバーでして

ショックを受けていた。

残り時間に限りがあります。

隙間を惜しんで通ってゆくとのこと。

JNファミリーが先日なくなりまして

「困ったサウナ好き元JNメンバーは

アスリエメンバーになったのにまた閉鎖。」

って話をサウナでしてきたって

報告を受けました。

スポーツクラブ夢中になって通ったのも遠い昔

相模原ではアスリエ プールも設備もナンバーワンでした。

13年前の10周年記念のときは

何時に行ってもキラキラしていたんですが

残念です。

建物の老朽化と競合、いろいろあったと思うのです。

若いころの思い出の場所がまた一つなくなります。

たくさんの友人ができました。お付き合いの幅も広まりました。

踊って楽しいなんて感覚はここに入らないと

おぼえられなかったな。

優先順位が今はずいぶんと変わってしまいましたが

からだ動かして最高に楽しいと感じたのはここの

スタジオレッスンでした。

今までありがとうございます。

カテゴリー: 子供達と

宮ヶ瀬ダムにおじさんと若者が自転車で登る話

去年の暮れから7回ほど登っています。

1月2月は寒いのです。足先が冷えるのです。

体の中で出っ張っているところは全て

ちぎれるほど冷えます。

天界の様子はだいぶ下界とは違くって

ボトルの水も凍りつく。

靴にホッカイロを入れて

首に職人さんの使うネックウォーマーつけて

朝5時台にマクドナルド集合

そこからひたひたと自転車で登るのですが

日の出の前に集合ですので気合が大事

このツーリングは休憩が多いので半分漕いで半分だべっている。

朝から出発して10時には帰ってきます。

コンビニと宮ヶ瀬のダムのほとりと

愛川の卵屋さんと3回休憩をとります。

しかしそのたびにレースではないのですが

逃げて、追いかけて、勝負があるのです。

50前後のおっさんと20代の若者がそれぞれの

プライドをかけて走ります。

もちろん信号も守るし、交通ルールも守る

1日全てを自転車で終わらせることは許されていませんので

帰らないといけない。

待っている人がそれぞれいます

帰るのみならず、買い物、用事それぞれの使命がありますので

体力も残さないといけません。

燃え尽きてしまうことは許されない。

遊びも、その限られた時間を丁寧に過ごせると

満足度が高いなあと感じてきました。

時間を大事にするって、丁寧に過ごすこと。

春を探しにっていうとかっこつけすぎですが

一週間で景色がどんどん変わるのもこの時期

おもしろい。

その限られた時間だからいいんじゃないのと

思えるようになりました。

おじさんのツーリングに若者がついてきてくれるのは

いつまで続くのか。

カテゴリー: 子供達と

横山公園いかがでしょうか。

おススメ時間は日曜日の昼前あたり。

たくさんの人がウオーキングを楽しんでいます。

平和の原風景。ひろがっています。

横山公園は老若男女集まっています。バランスがいい気がするのです。公園は子供のものってだけじゃあない気がします。

ながい独身生活のため、「友人の家族とばったり会って、今どうしてるのよ?」などと聞かれるのを怖がっていました。私は勘違いをしていた。まぶしくていられないだろうと思ったのです。

いやいやこれは素晴らしい。きれいだしモクモクと歩けるし。大げさかもしれないけれど、200mごとにダイナミックに景色が変わる。上溝中学を卒業したのでさんざん見なれた公園だからと思っていたのですが、中学の脇を校庭を眺めながら森の中を歩いても、パッパと景色が変わって面白い。あら、いい公園じゃないの。

いわゆるチェアリングのひとも。芝生もあるし遊具もあるし、ベンチもあるし。

ゴミ拾いをしている人、バスケットボールをおいかける子供達。

この公園は平和そのものです。

穏やかな春の日差し。これほどかと。

散歩のコースに入れたなら上溝中学、上溝駅、上溝商店街に展開できますのでかなり行動範囲が広がります。この場所をハブにして広げるのがいいですね。

娘と電動自転車で横山公園に行き、上溝中学校の敷地テニスコートの近くでドングリを集めます。

中学校のグリーンロード(ランニングコース)の一部は少し傾斜になっておりまして大袈裟に言えば登山の雰囲気があります。

中学校の正門「日に進み日に新たなり」(上溝中学校歌の一部)の門柱を抜けて下る。きらぼし銀行を目指しながら、ケーエスホームの路地を右手に入った三軒目に&(アンド)ベーカリーがあります。そこでパンを買ってお土産にしました。ここのパンは娘も好きで、一口食べて、ムホッうまい。ではなく、全部食べ終わってからこのパンおいしいなと言わしめます。おススメです。お土産のパンはなんでもトースターで炙るのが好きです。

そのまま店を出て先に行くと昔は釣り堀のような池があったのですが、完全に私有地に勝手に入っていたので寛大な時代だったのかななんて思い出します。

忠実屋の裏の池。当時は別の呼び名でしたが、今でも小学生のころを思い出せる場所です。池は残念ながら今はありません。

帰り道に娘は疲れたみたいで、歩かなくなった娘を抱っこして自転車に戻りました。

こんなことを何回出来るだろう。そんなこと考えながら歩くのにもいい公園です。

カテゴリー: 子供達と

アポロ洗車。洗車屋さんの話

仕事中の独特の掛け声で元気がいい。

挨拶がとてもいい。仕事が丁寧でいい。

トイレがきれい。待合室がきれい。

いつも笑顔。

どこをとっても誉め言葉にあふれた洗車屋さんなのです。

私に言われなくっても。

先代も私も20年以上お世話になっております。

弊社営業担当が洗車をお願いして、「17時にはできあがります!」

という話だったのですが、接客が続き、車を取りに行けなかったのです。

車のカギには自宅のカギもついていたので、家にも帰れない!

あわてて向かいますが、アポロ洗車は18時閉店。

到着すると18時40分にもかかわらず、一台の車に照明が一つだけついていました。

スタッフ一人が残業で残っていてくれたそうです。

ちょうどその車が照らされていて、磨きこまれたアクアは販売店に並んでいるようにピカピカ。

スタッフさんは「お待ちしておりました」と迎えてくれたそうです。

近所ですし、電話して催促をされることもなく・・申し訳ございません。

忙しいのだろうと気を使っていただいたのでしょう。

小町通でリッツカールトンのようなおもてなしの洗車屋さん。

私どものはこの姿勢を学べるだろうか。

誰かにそうしろと言われてアポロ洗車のスタッフさんはこの行動だったのでしょうか。

いつも仕事がいいとは思いましたが、そこまでやるのか。この心意気があの仕事につながっているのだと感動しました。

ありがとうございます。

カテゴリー: 介護の話

私のおじさんの介護の話3

認知症グループホームに入って1年経過したころ(2020年12月)、施設で今後介護が難しいとのこと。この一年で要介護3。

特別養護老人ホームに申込を入れてほしいと施設側から言われました。

いやそりゃ入れればそれが一番いいけれども・・

実はここのところはすばやく話が進みまして、入居可能となりまして、時期の打ち合わせに入っています。

今回の約2年ほどの間に勉強が出来ました。

転倒=骨折=即車いす生活につながっていること。

もしも車いす生活になった場合に暮らせる自宅なのか否か。

ここまではわかっていることなので、高齢者になる前に考える必要がある。

80歳以上の高齢者の勉強をしておくこと。

認知症の本を何冊か読んでおく。

認知症になる前にロードマップを考える必要がある。

結果から考える。

100歳までいきる。お墓を決めておく。施設に入るならどこにを決めておく。ダメならここダメならここ、候補とイメージを練る。

城を枕に粘る場所を決める。それならば60代のうちに籠城する場所に移っておく。

80歳から90歳の高齢者の勉強をすすめておく。面倒みるともっといい。

長生きリスクを考える。

ここで初めてほしいのは断捨離。

大掃除といいますか、いつも使うもの、使わないものを整理してほしい。

引っ越しの際に一人暮らしで椅子を7個持って行って、狭いって話は経験したことのある人ならわかってもらえるでしょうか。

団塊の世代は物が豊かさの象徴のようで、家には荷物があふれかえっています。

先日の週刊現代に自宅は売るなと言い切っています。半分はその通り、もう半分はそうではないと考えます。

荷物の処分がすすんでいたなら、選択肢を増やすことができます。

荷物が多いことを自分で自覚することから始まるのでしょう。荷物を減らせないと終の棲家も狭く感じてしまう。もうこんなに広い家は必要ないんだ。

身軽になることで、とても気軽に暮らせる。

あの時の料理道具。あの時の服。

すべてが今は使わないものになりつつあるはずです。

認知症になってからでは打つ手がないので、遺言も上手に書いておく。

推定相続人と話をしておく、いろいろ決めておく。

保険と貯金は必要最低限わかるようにしておく。

これらを手配していても、その時の自分が介護されやすい人間になれるかどうか

わからない。って事がわかりました。

介護する側は仲間を増やすこと。相談できる人、愚痴を聞いてくれる人。経験者の仲間を増やすこと。ですが、こうしたほうがいいばかりで状況を見ない、よく話を聞かない人とは距離を保ったほうがよいでしょう。

話を聞かないとイケナイ場面だらけになりますので、話を聴く力を練っておくことも大事でしょうか。

成年後見人の使い勝手の悪さや最終手段なのだというのもよくわかった。

制度が始まって時間がたって、世の中に蓄積がだいぶできてきているようです。

介護した人のブログも読み応えのあるものが増えて来ました。

私は不動産屋。

税理士、弁護士、司法書士、チームが簡単に作れます。メンバーひとりをこの人はどんな人なのかなどと調べる必要がない。今まで取引がある人、今後も取引がある人たち。信用の貯金がたくさんたまっている状態です。

自宅買うことよりもこのポジションは助かりました。

相続の本もネットの情報も今はたくさんあります。真実も多いのですが、本当に

役に立つ情報はその人によって違うわけです。

横山台の包括支援センターでたくさんの知識を得られました。耳学問も大変興味深く聞くことができました。個人的には包括支援センターがなければ心が折れた場面もありました。

5年ほど前から相続セミナーにも参加していますので、相続税対策を練ったり考えたり。

実践の現場ではこのスピード感に驚きました。

双方の遺言を用意してあったり、準備はすすめていたはずですが、本番では引っ越しの手配一つ大変なことです。

自分の親の前に勉強ができたこと、経験を積めたのは大変良かった。

遠くの親戚を近くに住んでもらったときのいろいろな事がぐるぐる回りました。

このフィードバックを皆様にできないか。そんな思いが強くなりました。

カテゴリー: 介護の話

私のおじさんの介護の話 2

年配の親戚が遠くに住んでいて、いよいよさしせまった状況になってきました。

今まで棚上げしてきたけれども、もはやここまで、確実に介護が必要です。

しかし私の自宅相模原から横浜市金沢区までの距離が問題になっておりました。

日々のお見舞いも距離が問題になってます。ひと月に何回行けるか、急な用事で駆けつけられない。2時間かけて行き、1時間滞在して2時間かけて帰る。そのこともストレスになって来ました。

遠くの親戚より近くの他人の言葉の意味がよくわかる。

気持ちだけでは超えられない。

大腿骨を骨折して自宅の階段が昇れない。病院に入って3ヶ月、もうすぐ出なくてはならない。リハビリの様子を見ながら少し歩ける状態では受け皿がない。

そんなリハビリの中、再度転倒しまして今度は逆の足の大腿骨を骨折しました。

緊急の手術です。若い先生が説明をしてくれました。両足になると車いすが前提になります。

転倒による骨折、入院中さらに転倒骨折+軽い認知症。

これがおじさんの状況でした。

この状態がどういうことなのかきちんとわかるまで、時間がかかりました。

この時はまだ「どこの老人ホームに入ろうかな~」ぐらいの気持ちでした。

じゃあ相模原に来ないかしら?近所なら私も色々協力できるし。

取り急ぎ近所の老人ホームのパンフレットを集めました。有料老人ホーム、介護付き、サービス付高齢者住宅、グループホーム…どこも1人20万円以上。オプションを付けて20万円ちょいです。もらっている年金全額納めてやっと住めるのか。

高いなあ。でも仕方ないのか。

当の本人からは、まだ老人ホームに入りたくないとのこと。入れるお金も怪しいけれど、入る気もないのだからどうにもならないじゃん。

最初は確かにこう言っていた。

本人もおばさんも様子を見に行っていた私も。

まったくの人ごと。3人が置かれている状況がだれも把握できていなかった。

私は不動産屋で30年以上働いているのに親戚が快適に過ごせる住まいが用意できないのか。

などとトンチンカンなことを考える始末です。

階段や簡単な段差のある住まいならば、5万円も出せばたくさんあるのに、本格的なバリアフリーの賃貸はほとんどない。

私はこのレベルで考えておりました。要支援ではなく要介護が2になっていたのに。

毎日様子見に行ければ一人で暮らせるのではないか?などと。

おじさんこの程度の認知症なら私の近所に住んでもらえれば何とかなるよ。昔もらったお年玉分ぐらいは頑張るよ。この程度の覚悟で望んでいました。

認知症の判定、ハセガワ式のテストの結果、病院の状況報告。これらから軒並みおじさんの受け入れ先は断られました。

受け入れたいのだけれど、車いすに対応できない。機械式の入浴設備がない。認知症だと難しい・・・

かんたんじゃなかった。3か月のタイムリミットが近づいてくる中で焦り始めました。

そもそも横浜市から相模原市に連れてくること自体が簡単ではなく。

受け入れ先もコネもない。コーディネートの力もない。

やみくもに資料集めて面談に行き書類渡して断られるを繰り返しました。

さまよいました。

さまようって山の中だけじゃない。

リハビリ施設の老健に入れるようになったときは心から安心した。ホッとしました。

三ヶ月だけど一息つける。わかっていた。老健は三か月で出なければならない。

最初から認知症病棟に入る話でした。いわゆる認知症も軽度だ重度だあるようですが

何をもって認知症の重い軽いは書類のみの選考です。

なんとか一般病棟にねじ込みたい。正直私はそう思いました。

書類に書いてあるのは、少々暴言がある。転倒が二回。認知症がある。認知症テストハセガワ式が何点だとか。生活態度などの活字の情報です。

入っていた病院と、受け入れの施設の間で、私がプレゼンテーション出来るような場面はなかった。

プロが作った成績表にしたがってプロが判断してくださるのだからそれでいくしかないのか。

個別の要因や面接面談をすることはできないかな。心の中で葛藤がありました。

おじさんは感情を揺さぶるような出来事や楽しみがあれば少しマッサージというかアイドリングがあれば冗談も言い出すし、笑顔も出て来るし、好奇心を引き出すことができるじゃないの。この状態をキープしていきたいじゃないか。

自宅で生活できなくなった人と一口に言っても、認知症なのか、身体機能が衰えたために食事やお風呂、トイレが難しくなったのか、もしくはその全てか。人によって状況は千差万別です。受け入れる側のマインドを持たないと自分が被害妄想に陥ってしまいそうでした。

たった1年ちょっと前は娘を連れて会いに行くことができた。

連れて行くと目を細めて喜んでくれた。小さな子供を施設に連れてゆくとパッと皆顔が明るくなった。

私がしたいのはこういうことだ。この時間を作りたかった。

これをやろうと思った。

老健から認知症グループホームへ移動。

3箇所のグループホームを見ていて、自分で立ち上がれないひとの介護の難しさに直面しました。

機械式のお風呂設備の有無など、受け入れ側と打合せが重要です。ここでも何度か断られました。

施設に複数声をかけておいて、受け入れ側の状況や人の充足などタイミングがとても重要だった。

認知症グループホームに入って、もうすぐ1年経過します。コロナの影響で面会の回数が激減してしまいました。相模原は病院がはやくから感染の報告があったので、介護施設はどこも厳戒態勢になりました。

2020年の前半にコロナが発症したとなったならば、状況的に非常に厳しい。

都会でも田舎でもないこの地域は良くも悪くも情報があっという間に広まってしまう。

そんななか子供はもちろん、私もおじさんと面会できなくなりました。

ダダ滑りで認知症が進みました。