カテゴリー: 介護の話

私のおじさんの介護の話 2

年配の親戚が遠くに住んでいて、いよいよさしせまった状況になってきました。

今まで棚上げしてきたけれども、もはやここまで、確実に介護が必要です。

しかし私の自宅相模原から横浜市金沢区までの距離が問題になっておりました。

日々のお見舞いも距離が問題になってます。ひと月に何回行けるか、急な用事で駆けつけられない。2時間かけて行き、1時間滞在して2時間かけて帰る。そのこともストレスになって来ました。

遠くの親戚より近くの他人の言葉の意味がよくわかる。

気持ちだけでは超えられない。

大腿骨を骨折して自宅の階段が昇れない。病院に入って3ヶ月、もうすぐ出なくてはならない。リハビリの様子を見ながら少し歩ける状態では受け皿がない。

そんなリハビリの中、再度転倒しまして今度は逆の足の大腿骨を骨折しました。

緊急の手術です。若い先生が説明をしてくれました。両足になると車いすが前提になります。

転倒による骨折、入院中さらに転倒骨折+軽い認知症。

これがおじさんの状況でした。

この状態がどういうことなのかきちんとわかるまで、時間がかかりました。

この時はまだ「どこの老人ホームに入ろうかな~」ぐらいの気持ちでした。

じゃあ相模原に来ないかしら?近所なら私も色々協力できるし。

取り急ぎ近所の老人ホームのパンフレットを集めました。有料老人ホーム、介護付き、サービス付高齢者住宅、グループホーム…どこも1人20万円以上。オプションを付けて20万円ちょいです。もらっている年金全額納めてやっと住めるのか。

高いなあ。でも仕方ないのか。

当の本人からは、まだ老人ホームに入りたくないとのこと。入れるお金も怪しいけれど、入る気もないのだからどうにもならないじゃん。

最初は確かにこう言っていた。

本人もおばさんも様子を見に行っていた私も。

まったくの人ごと。3人が置かれている状況がだれも把握できていなかった。

私は不動産屋で30年以上働いているのに親戚が快適に過ごせる住まいが用意できないのか。

などとトンチンカンなことを考える始末です。

階段や簡単な段差のある住まいならば、5万円も出せばたくさんあるのに、本格的なバリアフリーの賃貸はほとんどない。

私はこのレベルで考えておりました。要支援ではなく要介護が2になっていたのに。

毎日様子見に行ければ一人で暮らせるのではないか?などと。

おじさんこの程度の認知症なら私の近所に住んでもらえれば何とかなるよ。昔もらったお年玉分ぐらいは頑張るよ。この程度の覚悟で望んでいました。

認知症の判定、ハセガワ式のテストの結果、病院の状況報告。これらから軒並みおじさんの受け入れ先は断られました。

受け入れたいのだけれど、車いすに対応できない。機械式の入浴設備がない。認知症だと難しい・・・

かんたんじゃなかった。3か月のタイムリミットが近づいてくる中で焦り始めました。

そもそも横浜市から相模原市に連れてくること自体が簡単ではなく。

受け入れ先もコネもない。コーディネートの力もない。

やみくもに資料集めて面談に行き書類渡して断られるを繰り返しました。

さまよいました。

さまようって山の中だけじゃない。

リハビリ施設の老健に入れるようになったときは心から安心した。ホッとしました。

三ヶ月だけど一息つける。わかっていた。老健は三か月で出なければならない。

最初から認知症病棟に入る話でした。いわゆる認知症も軽度だ重度だあるようですが

何をもって認知症の重い軽いは書類のみの選考です。

なんとか一般病棟にねじ込みたい。正直私はそう思いました。

書類に書いてあるのは、少々暴言がある。転倒が二回。認知症がある。認知症テストハセガワ式が何点だとか。生活態度などの活字の情報です。

入っていた病院と、受け入れの施設の間で、私がプレゼンテーション出来るような場面はなかった。

プロが作った成績表にしたがってプロが判断してくださるのだからそれでいくしかないのか。

個別の要因や面接面談をすることはできないかな。心の中で葛藤がありました。

おじさんは感情を揺さぶるような出来事や楽しみがあれば少しマッサージというかアイドリングがあれば冗談も言い出すし、笑顔も出て来るし、好奇心を引き出すことができるじゃないの。この状態をキープしていきたいじゃないか。

自宅で生活できなくなった人と一口に言っても、認知症なのか、身体機能が衰えたために食事やお風呂、トイレが難しくなったのか、もしくはその全てか。人によって状況は千差万別です。受け入れる側のマインドを持たないと自分が被害妄想に陥ってしまいそうでした。

たった1年ちょっと前は娘を連れて会いに行くことができた。

連れて行くと目を細めて喜んでくれた。小さな子供を施設に連れてゆくとパッと皆顔が明るくなった。

私がしたいのはこういうことだ。この時間を作りたかった。

これをやろうと思った。

老健から認知症グループホームへ移動。

3箇所のグループホームを見ていて、自分で立ち上がれないひとの介護の難しさに直面しました。

機械式のお風呂設備の有無など、受け入れ側と打合せが重要です。ここでも何度か断られました。

施設に複数声をかけておいて、受け入れ側の状況や人の充足などタイミングがとても重要だった。

認知症グループホームに入って、もうすぐ1年経過します。コロナの影響で面会の回数が激減してしまいました。相模原は病院がはやくから感染の報告があったので、介護施設はどこも厳戒態勢になりました。

2020年の前半にコロナが発症したとなったならば、状況的に非常に厳しい。

都会でも田舎でもないこの地域は良くも悪くも情報があっという間に広まってしまう。

そんななか子供はもちろん、私もおじさんと面会できなくなりました。

ダダ滑りで認知症が進みました。

仁社長

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上は中学生から下は乳児迄3児のパパと、横山で38年の不動産会社の社長を務めています。日々の気づきを発信していきます。 叱咤激励・応援メールはこちらまでお願いします。

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