45年前に上溝の石住住宅に住んでいた。
ガキ大将のキーちゃんに連れられて
せどむら坂の防空壕を探検しに
連れて行ってもらった。
スーパーカーブームの中
とにかくメンコを集めが必死のころ
仁くんはみそっかすだからと(オニにならない)
誰も追いかけてこない鬼ごっこに混ぜてもらい
大興奮で逃げまどったのをおぼえている。
年の離れたアニキたちに遊んでもらった。
トモハル君クミちゃんの家に遊びに行った。
楽しみはパンを焼く事で
当時は自宅にオーブンがある家も珍しく
母親のN360が夏場とんでもなく
車内が高温になり、パンを発酵させるには
ちょうどよかった。
木でできた電信柱
家の前は砂利の道
雨が降ると大きな水たまりがたくさんできた。
トモくんの家にはエアコンがあり
忠実屋以外でエアコンのある場所を知らなかったので
大変驚いた。家がすずしいのかと。
会長と母と兄弟。家族5人がいた幸せの原風景だ
会長は庭にモルタル塗りでプールを作ってくれた。
底は青く塗って海をイメージしている。
翌年から砂場になった。
うさぎを飼ったり、チャボを飼ったりこの家に永遠に住むものだと
思っていた。
実際住んでいたのは2年ぐらいだったと思う。
大人の事情、バブルの前夜
とにかく引っ越しばかりいていた。
「あしたのジョー」の頃の思い出ですが
たまに石住住宅を通るとすでにあのころの公園はなく
石住若草公園と石橋団地が建っている。
古淵のイオンでじっと私をみて話しかけてきた男性。
「仁くんだろ?俺はキーちゃんだよ。」
びっくりしても記憶の糸は45年前のもの。
ポカーンとしてしまった。
キーちゃんだと言われてもそもそも顔が思い出せない
しかし、実はこのキーちゃんとは
15歳の頃、今から35年前にも
相模原駅前のゲームセンターチェリーで話しかけて貰っている。
「仁くんだろ?」同じように話しかけてくれた。
高校時代からあそんでいた友人ならいざ知らず
未就学の子供の頃の顔認証できるものだろうか?
とにかく驚いて
びっくりするしか反応できない。
ご無沙汰してます元気です。しか言えなかった。
やあやあと、その後こんな人生でしたと話すほどの間柄
でもないのかもしれませんが
私もなかなかのおじさんになりました。
渋谷商会の代表になりました。
このペースだと70歳くらいで
もう一度会えるかもしれません。
それはそれで楽しみです。
もしかこのブログで会えたら嬉しいなと
思ってもいます。
トモくんクミちゃん
お母さんにも大変お世話になりました。
その後の連絡も取れなくてすみません。
その節は大変お世話になりました。
年齢をまたいであそんでくれたのは
当時じゃ珍しいんじゃないかな。
キーちゃんは俺にとって永遠のガキ大将で
俺は永遠の子分なんだなと
もしかしたらイオンで会ったのは
キーちゃんの妖精だったのかもしれません。
不思議なことはあるものです。
上溝小学校には1年生の10か月だけ通いました。
登校班から近所の人から、とてもかわいがってもらいました。