カテゴリー: 子供達と

会長亡くなりました。

私の父、渋谷正光が令和4年6月19日に永眠しました。

1月に大腿骨を骨折して車いすになり、生活の質がずいぶんと

下がっていました。

2年前に心臓の手術もありました。

晩年は手術と入退院を繰り返しておりました。

そば屋へ自分の運転で娘を連れて、

「海老天食べるのか?そうかそうか」と

目を細めておりました。

転倒後は車いす生活へ。

トイレとおふろとベットへの移動も

介助が必要となりました。

手術後、ヘルパーさんにも入ってもらっていましたが、

本人のなかで、もはやこれまでと

覚悟を決めてからは、あっという間でした。

2月ごろ万が一のことがあってはいけないので、今現在の渋谷商会の株を

もう少し私に移しましょうなどと、税理士と一緒にお見舞いに行きました。

すると

虎の子の会社の株を差し出せというのだな?

お前はロシアのような男だ。急にきて大事な領土を差し出せというのだな?

いい度胸じゃねえか、俺は最後まで争うまでだ。

いやいやこれはいけないと、旗をたたんで引き上げました。

すごみというか、キレというか、そのときはとても元気でした

私は20年親父と一緒に仕事をした人間です。

悔しさや、思いはわかる気がします。

思う存分思いの通りに生きているようにみえましたが。

今は相談相手がいなくなってしまい寂しいかぎりです。

82歳でした。

創業当時 父 正光 母 邦子の二人ではじめた渋谷商会も

1980年創業ですので42年続いております。

事務所のテナントががらんどうの中で、私6歳のときに

「ここに俺の事務所をつくるんだ」といわれました。

今の事務所の3分の1の大きさだったころ、隣に本屋さん、その隣は

パン屋さん上階の住居に住んでいましたので、このビルでずーッと

チョロチョロしていました。

すこし渋谷商会と会長のことを書きます。正一(祖父)と正光(会長)が

わかりにくいと指摘を頂いております。

1940年 3月16日 正光誕生 父 渋谷 正一  母 渋谷ナミ

正一の生家は青森の農家と思われる。6歳ですでに両親とは死別。

親戚のところに正一養子に入る

16歳で兵隊になる。「しぶたにまさかず」から「しぶやしょういち」名前変更

兵隊から帰って来て満州へ行く。公務員となる。

渋谷正光 4歳のときに

木下大サーカスへ馬車に乗って家族全員着飾ってゆく 満州鉄道 四平街駅前の住まい

正一公務員 ナミ美容師 駅前の荷物預かり所を兼ねて美容院白菊をつくる。

当時珍しい子供用自転車のある家。正光担当の姑娘(クーニャン。いわゆる召使)が3人。姑娘のいる家。贈り物の多い家

敗戦とともに満州国消滅 関東軍が逃げた後に引き揚げ開始

ソ連の掃討作戦。敗戦による略奪にあう。関東軍に裏切られた気持ち。あれだけ信じていた軍が自分たちを守ってくれないとは夢にも思わず。

1945年(昭和20年)

帰国は 1946年(昭和21年7月9日)

旧満州から日本へ。船の中は不衛生のため、病気が蔓延 度々の水葬。

陸が見えた瞬間人が片側に集まって大きく傾く船。

舞鶴への帰港。渋谷正光初めて見た内地。6歳。

コンペイトウをもらう。皇后陛下からの賜り物。

遠縁を頼って青森、北海道に行くが、どこも厳しい。短くて2日、長くて2週間しか預かってもらえない。

正一が兵隊だったころの上司。千葉の材木屋に身を寄せる。納屋の暮らし。

利根川のほとり 2年後 ナミ 美容院白菊開店。

渋谷正一 ナミ 引揚げ10年で千葉県あびこ市の分譲住宅の購入。

正光16歳のとき。

横浜の今関さんのところへ遊びに行く。千葉よりも都会の横浜。

港が好きで船が好きだった。

「おまえ、そんなに船が好きなら船の会社紹介してやろうか」

知り合いの船会社を紹介してもらう

中学卒業とともに就職。文字通り船出

ワールド ミリタリーポーターズ アメリカ系企業の商船に乗ることになる

その後10年船乗り。厳しい教育指導。同じ釜の飯。半年に一度丘にあがる。丘の3倍稼いでいた。怖いもの無しの丘での暮らし。

渋谷正光 24歳のときに邦子と横浜で出会い結婚 

1965年(昭和40年) 渋谷正光25歳、光邦誕生 1970年昭和45年 30歳時、長女 奈々子誕生 1972年(昭和47年) 32歳のときに次男仁誕生

子育てのために 花屋 車屋 ミサワホーム 三菱地所 高木土地 三栄ハウス転々とする

三栄ハウス大和支店長を経て

1980年 相模原市横山で 株式会社渋谷商会創業 

渋谷邦子 渋谷正光 ふたりでのスタート

2年後邦子闘病開始

1984年(昭和59年) 妻 渋谷邦子没(当時正光45歳) 西川さん 有賀さんの時代 

1988年 (昭和63年)センチュリー21加盟

創業初期

1995年 銭谷 入社 有賀さん、外川さん、久保さん 仁アルバイトで入社  

1998年 海老名 秀建入社 仁 小日向と会う

2001年 橋本 朝日土地 仁 岩本と会う

2002年 仁渋谷商会戻る 渋谷商会ピタットハウス加盟 山村入社

2005年 ピタットハウス退会 ハウスサポート渋谷商会へ

2011年 上村入社

2014年 谷口 銭谷 外川退社

2014年 坂田入社 渋谷仁 専務就任

2015年 堀欠みゆき入社

2016年 浅見裕菜入社

2018年 中川彰寛 入社 渋谷仁 社長就任 渋谷正光 会長就任

2019年 檜佑次 岩本茂雄 入社

2020年 小日向昭弘 入社

2021年 山村みずき 後藤瑞稀 入社

2022年 中川聡詩入社

創業42年を迎えられたのはひとえに支えて頂いたお客様、オーナー、横山の皆様のおかげでございます。これからも叱咤激励、ご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します。

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上は中学生から下は乳児迄3児のパパと、横山で38年の不動産会社の社長を務めています。日々の気づきを発信していきます。 叱咤激励・応援メールはこちらまでお願いします。

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